自分の好きなものを考える 2025/12/03

animals think

自分の好きなものについて考えてみよう。
正直なところ、好きという感覚がよく分かっていなかったりする。
「好き」とは一体何なんだろうか?
好きの定義を調べてみると、様々な観点からの解説が上がってくる。
なんとなくまとめると「心惹かれる」状態のことだと言うことが分かった。
それで考えたとき、私の好きなものは単純に「動物」なのだろう。
よくよく考えると他にもある。
それはアニメやゲームなどの創作作品だ。

具体例を上げてみる。
私が「惹かれるもの」「興味があるもの」を大雑把に書き出していこう。

動物、アニメ、ゲーム。

更に細かく分解してみる。
まずは動物についてだが、基本的に動物はみんな大好きだ。
しかし「その中で特に何が好き?」と問われれば、私は返答に困ってしまう。
例えば、私はカメが好きだ。だが、カメとハムスターどっちが好きかと問われれば、若干反応に困ってしまう。見た目で言うと、正直ハムスターの方が可愛いと思ってしまうからだ。
うーん。可愛いと思っているだけで、ハムスターを好きとまで言ってもいいのだろうか?
カメは飼っていた経験があるため、いろいろと把握しているため語りやすいし、好きと言ってもなんの違和感もない。
だがハムスターは、飼ったことがないのでその詳細は未知。私がカメと比較してハムスターをもいいと好みがブレた原因は、想像力が生み出す可愛さがその感情を増幅させ、ハムスターに「惹かれてしまった」からなのだろうか?
視点を変えれば、私の好きの基準がその動物を「詳しいかどうか」で判断しているのであれば、自分の基準が間違っていて、ハムスターを可愛いと思った時点でもうその動物を好きなのかもしれない。

こんなふうに好きな対象として「動物」を上げて、「じゃあ何の動物が好き?」と更に掘り下げて考えようとすると、その時々によって好きなものが変わってしまうし、好きの自信が持てなくなってしまう。
言い方を変えれば、「この動物が好きで好きで堪らない!」という気持ちが、ほぼないのである。

このブログを書いている最中に、爬虫類などが展示されている施設に行く機会があったのだが、そこで憧れのアルダブラゾウガメに餌を与える体験をさせてもらったり、触らせてもらったり、生まれて初めてフトアゴヒゲトカゲまで手の上に乗せてもらったり、めちゃくちゃ幸せな体験をさせていただいた。
その瞬間、「ああ、私はやっぱり爬虫類が好きなのかもしれない」と深く思ったりした。
そういえば、私はもともと恐竜が好きだった。
よくよく思い返せば、化石→恐竜→カメ→動物の順に好きが拡大していった気がする……。
いや……カメ→化石→恐竜→動物だった気もしなくもない。
この辺りは幼少期過ぎて曖昧だが、始まりは毛のある動物ではなかった。
ちなみに恐竜の中で一番好きだったのは、フタバスズキリュウだ。

その施設は、爬虫類を完璧なテラリウム展示にしている所なのだが、その景色に本当に胸がときめいた。

ここで考えたのが、これまで見てきた景色のことだ。
私は、ただのガラスケースや水槽に入れられたカメや爬虫類を見ても、その生き物が好きなはずなのにあまり魅力を感じられなかった。
同じように、ただ檻に入れられているだけの動物を見るのも、動物が好きなはずなのにあまり魅力を感じられなかった。
その心の動きから考えると、私は「環境も込みでその動物がそこにいる風景」が好きなのではないかと思えてきた。
実際、私はテラリウムが大好きだ。
あれ?これってもしかしたら、大きく見ると私は「森の景色」が好きなのではないかとさえ思えてきてしまった。
そろそろ収集がつかなくなりそうだ。

少し落ち着いて整理してみよう。
私は動物全般が好きだが、その中でもカメなどの爬虫類が好きなのだと思う。
更にその中でも、飼ったことのないリクガメやトカゲに惹かれてしまう。
ただしその生き物はその生き物の生息環境とセットでないと満足できない。
別に毛のある哺乳類に興味があり、何か飼ってみたいと思っている。
しかし鳥籠の鳥類や犬や猫などの愛玩動物にはそこまで興味が湧かない。
好きの始まりである恐竜については、今でも興味津々であるが現状全く覚えられないし詳しくない。

上記の整理から考えるに、なんとなく、私は「森に棲む動物の風景を見ること」や「知らない動物を観察すること」が好きなのではないか?という結論に至った。
中でも私は、森に仕掛けたトレイルカメラをチェックしてノートに記録を移すのがめちゃくちゃ好きだった。
そのノートを後で読み返して、行動パターンを想像するのが本当に楽しかった。
私はただ動物を、何も考えずに見つめたり、記録したり、動物のドキュメンタリー番組を見て、深い森の奥で生活する動物や爬虫類たちの知らない世界を知っていく……そういったことが大好きなんだと思う。
……一旦こんな感じで、動物についてはこれを結論にしよう。

では次にアニメを分解してみよう。
このアニメに関しては、全般好きであるのだが、動物と違い特別な感情を持って見ていた作品は具体的に書き出せる。
かなり絞って書き出すと、

ギャラクシーエンジェル
最遊記
ARIA
天元突破グレンラガン
翠星のガルガンティア
楽園追放

例に上げた作品は特に、単行本はもちろんのこと、設定資料集やBlu-ray BOXなどを買い揃えるほど、自分の人生に影響と充実感を与えてくれた。
改めて作品名を並べて感じたのは、最遊記とARIA以外は「銀河」と「メカ」が登場するということ。
グレンラガンと楽園追放については、「弟と一緒に見た」という思い出も強く残っており、大切な作品となっている。
最遊記に関しては、アニメだけでなく、堺正章さんや夏目雅子さんが演じたテレビドラマの西遊記も大好きだった為、題材自体が好きなのだろうと思う。
ARIAに関しては、純粋に、自分の感性に最も近く、綺麗で、優しくて、なんでもない世界の美しさで涙を流せてしまうほど、心に染み込む作品であった。

一つ一つの作品について語りだしたら止まらなくなってしまうので、個人の感想はなんとか抑え込むが、気になる人がいたらぜひ見てもらえると嬉しく思う。

また、上記に上げた作品名とは少しカテゴリを別にして書き出したいと思った作品が2つある。
それが「空の境界」と「十二国記」だ。

空の境界は、小説からのファンであり、本と出会った当時の記憶や感覚、感情、夢中で読み進めていったページを捲る時の音や匂いまで、今でも鮮明に思い出せる。
言わずもがな、劇場版は完全生産限定版で全て買い揃えるほど。
正直、この小説を超えるほど面白いものに出会えていない。この小説を読んだ後だと、他のどんな本を読んでも物足りなく感じてしまうのだ。
奈須きのこ先生は、本当に尊敬する。

十二国記はNHKでアニメを放映していたのを、多くの人は知っているのではないだろうか?
私が初めてこのアニメを見たのは小学生の時か、再放送だったか。とにかく何度も放送されていた。
当時は意味が分からないまま、楽俊が可愛くてただ見ていただけっだったのだが、大人になって改めて見てその内容に衝撃を受けた。
社会に出て感じた自分の至らなさ、苦しさ、孤独、憤り、不安、理不尽、人の醜さ、浅ましさ、そして温かさを、信じられないほど感情移入して見ることができた。
私の人生が陽子とほぼほぼ重なっていた。
いや、どのキャラクターにも、必ずしも自分との共通点を見出すことができていた。
今では十二国記を教科書として、そして反面教師として、何度も何度も見返している。
死ぬまでには、小説をしっかりと買って、全巻を隅々まで読みたいと思っている。
正直小説から入っていたら、恐らく挫折していた可能性が高い。
なぜなら私は、中国史や日本史にあまり興味がなく、古典的な漢字の読みがかなり苦手……。
登場人物が一致せず、しかも十二国記では「字」や「官吏」までもが登場する為、視覚的に確認できるアニメの存在がかなりありがたかった。

まとめると、この2作品は活字が強力な作品だと思っている。
よって魅力の底を知らない。故に偉大で傑作。
出会えてよかった作品だ。

次に、ゲームについて分解してみていこう。
私が夢中になってプレイした、あるいはプレイしているゲームは

GALAXY ANGEL シリーズ
地球防衛軍 シリーズ
Fortnite

特にGALAXY ANGEL シリーズについては、アニメ版よりもゲーム版の方がめちゃくちゃ好みで、何度も何度もプレイし、当時最先端だった3Dリアルタイムシュミレーションを大興奮で遊んでいた。
地球防衛軍シリーズは、もともとは弟が遊んでいたゲームだったが、一緒にやっていくうちにハマってしまい、本当にいい思い出になっているし、今でも無性に遊びたくなる。
Fortniteは現在進行系で遊んでいるゲームで、これも同居人の影響からのスタートであったが、本当に楽しく遊ばせてもらっている。

好きなゲームを改めて見てみると、ざっくりSF要素が入っている気がしている。

好きに雲がかかる時。
好きな作品を見たり遊んだりしているうちに、自分の中で「がっかりするポイント」があることにも気が付いた。
これも何かのヒントになるかもしれないので書き出しておこう。
ここから先はネタバレが入るため、上記の作品をこれから楽しもうと思っている人は、このブログを読むのはここまでにしておいたほうが良いと提案する。
大丈夫な人は、このまま下へスクロールしていただきたい。













私は敵として「神」が出てくると、結構がっかりしてしまうのだ。
これまで絶妙な現実と非現実の狭間のファンタジーを楽しんでいるところに、ラスボスとして神と呼ばれる存在が現れると、えー……。となってしまう。
批判ではなく、単純にがっかり感だ。

なんというのだろう。
なかなか言語化するのは難しい感情なのだが、ファンタジーなのだから全然有り得る話ではあるのだが、突然超次元の非現実的な存在が最強の敵として現れると、これまでの絶妙な現実感が、どこかに飛んでいってしまうというか。
ファンタジー感が強すぎてしまうというか。
もう少し捻ってほしかった!というのが率直な感想である。

GA、そしてEDFも、とあるシリーズで神が登場してしまいああああああ……。
となった思い出がある。

ただ、グレンラガンだけは少し違った。
確かに神が登場するのだが、完全なる胸熱リアルファイト!
想像の斜め上を行く展開で、本当に最高だった。

同じ神という存在が敵として登場するのに、なぜこうも感情が違うのか。
もしかしたら私は、敵にも人間的な葛藤や感情の動きを求めているのかもしれない。

絶妙な現実感と非現実感の融合。
この感じが私は大好きなのだと思う。
神以外の最強の敵を、これからも楽しみにしている。

思考角度を変えて。
今度は、私がこれまでの人生で「楽しかった行動」を思い出してみようと思う。
動物の好きを分解した際の文章と重複するが、
◯森に仕掛けたトレイルカメラをチェックし記録することが楽しかった。
◯フィールドに出て、動物のメモを取りながら歩くことが本当に楽しかった。
◯そして自然の中で、おにぎりを食べることが楽しかった。
◯あとは、仕事で小説を書くことになり執筆をしたのだが、書きたい、書きたい、もっと書きたいと思えたし、物語を考えるのが本当に楽しかった。

フィールドやトレイルカメラでの動物メモは、前述した「観察することが好き」に関連している。
自然の中でおにぎりは、今回始めて出てきた要素だ。
最後の執筆についてだが、これは分解すると、いくつもの好き要素が詰まっていることが分かった。

私は、想像するのが好き。これは物語構成。
私は、キーボードを打つことが好き。音も感覚も気持ちよく、打つと文字が刻まれるタイピングは達成感を感じられる。
私は、調べることが好き。ストーリーを構成する時、知らないことが次々に出てくる。その度にネットや本で調べて考えて比較して精査して反映させるのがとても楽しい。

まとめると、私が「好き」「楽しい」と感じる要素は、「観察する」「想像する」「調べる」「記す」ということだ。

よく考えたら、このブログも小説執筆と同じようなことをしている。
想像し疑問を見つけ、様々な方法で調べ、ここに記す。
もしかしたら、このブログは好きでやってることなのかもしれない。

総合評価。
私の好きなもの、こと、私が今後人生で充実感を味わえる事柄は、
「実際に動物に会う為に森に出かけながら、PCで動物関連のファンタジー小説を書く」ことなのだと思う。
いつか、小学生の時に読んだシートン動物記のような、本を作れたら良いなと思う。
別に本という媒体ではなく、テキストデータで構わない。
私の特性に合わせて本を作るとするならば、自然の中へ出かけ動物を観察し、そこに現実と非現実の絶妙なバランスのストーリーを作り、いろんなことを調べながら、PCに向かってひたすらキーボードを叩く。
正直、これが本当の私の「好きなこと」で「大きな趣味」になるのではないかと思う。
一番理想なのは、誰かに読んでもらおうとか、そういうことは一切考えず、誰の評価も入れず、ただ自分の為だけに、思ったままに書きまくって、晩年になってそれを一人で読み耽る。
きっとこれが、私の理想の毎日と老後の過ごし方だ。

ゲームも言わずもがな「趣味」ではあるが、小説執筆が理性的な趣味であるならば、私の好むゲームジャンルがTPSであることを考えると、これは本能的な趣味であるのだと思う。

理性的な趣味(好きなこと)は動物関連小説執筆。
本能的な趣味(好きなこと)はTPSゲームプレイ。

そうだ。これだ。
ああ。なんかスッキリした。

ここまで書いてきたことを読み返して思った。
全体的に、好きな「もの」より、好きな「こと」の方に結論がいってしまっている。
好きなものはたしかにあるけど、好きなことの方が多そうだ。
好きなものはアニメやゲーム。
好きなことは動物関連の調べ物やキーボード執筆。
こんな感じの分類だろうか。

人間に重ねる。
ここからは、人間にスポットを当てて考えてみようと思う。
私はどんな人が好きなのだろうか?
これまで生きてきた中で、一緒にいて楽しかった人はどんな人だっただろうか。

まずは「趣味が合う人」。
動物、アニメ、ゲーム、どれかの話題が合う人とは結構自然体で話ができた。
そして「いつも笑顔な人」。
私は幼少期から、人の顔色を伺って生きてきた。
よって感情が読み取りにくい無表情の人やあまり喋らない人が怖くて苦手である。
基本的にいつも笑顔な人は、いつでも安心して話しかけられるし、ちょっとしたことでも笑ってくれるから楽しい。

しかし。
恋愛方面で考えてみると、本当に面白い現象が起きていることに気付いた。
私がこれまで好きになった異性を思い返してみると、上記にあまり該当していないのである。

感覚で言うと、普段読書ばかりしている大人しい人が、運動部のイケメンや美女を好きになるような、そんな正反対な性格のイメージなのだが、まさにその通りで、何故か好きになるのは、自分と正反対の性格の人だった。
しかし今なら分かる。恐らくそれは「憧れ」からくる「好き」だったのだと思う。
私にはないものを持っている。それが「興味」に繋がり、「好き」になったのではないかと考察する。
本能的に、きっと自分の不足分を遺伝子に入れたかったのではないか?
そんなふうに考えている。

好きな人ができると毎回、(付き合ってみたいけど、多分性格が合わない)と考え、(無理して付き合ってどうする?)とその先を望むことができなかった。
しかし過去には、そんな人と両思いになったタイミングもあった。
その時は人生の中で経験したことのないほど、心からの幸せを感じることができた。
しかし初めは特別感や親密感を得られて幸せでも、やはりその後は自分が苦しいだけだった。
好きだけど性格や考え方が合わない……。
不安が消えない。向こうの気持ちが分からない。
結局自分が相手の顔色を伺うようになってしまった。
好きだけど長く一緒にはいられない。
こうなるくらいなら、友人という関係に留めておくのが……となり、やはり、結局、付き合うことは出来なかった。
本当にごめんなさい。
ということで、私に恋愛は無理だと悟った。
私は、「憧れ」ているだけで満足なのだ。
どうかその人が、私の知らないところでちゃんと幸せになっていますように。

これに反して、前述で書き出した「好きな人」「一緒にいて楽しかった人」の条件に完全一致している人……つまり「自分と性格が合う人」には、不思議なことに恋愛感情は一切湧くことがなかった。
これは本当に、本当に本当に不思議でたまらない。
もちろん、無理やり好きだと思い込んだり、長く一緒にいることで多少は情が湧くわけで、全然タイプじゃない人と恋人同士になってみたこともあるが、結局現実的な問題、お金や将来のことで別れてしまった。

結果を見れば、今一番心を許している人は、動物、アニメ、ゲーム、全てにおいて趣味が一致しており、更に超陽キャの為笑顔が耐えない。
しかし性格が正反対の為よくも悪くも意見が割れるが、ちゃんと話し合いができるのである意味知識が深まっていい影響になっている。
そして恋愛感情というよりは、どちらかというと敬愛感情を抱いており、凄まじい安心感を得られている。
そんな、私との性格合否の中間のような人で落ち着いている。

本能的な好きの感情は憧れる。
しかし私の場合は、理性的な好きを基準に人を選んだほうが幸せであるのだと察した。

「趣味の一致」と「笑顔」は基本。
それにプラスして「尊敬」と「安心感」が加わると、「信頼」が生まれ、私のパートナーとしての条件が整うのだと思う。
私が相手に何を提供できているかは、定かではないのだが。

どうしても交われない性格。
好きを分解していくと、どうしても許せない現象というのにも遭遇する。
これが俗に言う「性格が合わない」原因だ。
ここからは、人間の私が今まで生きてきた中で、「あ……この人無理だ……」と思った行動や性格を振り返ってみようと思う。

「自己中心的な人」
これはまぁ、大体の人は好きではないと思う。
だがもうこの一言に尽きる。
思い出話だが、小学・中学と、よく一緒につるんでいた友人がいた。当時は全く意識していなかったのだが、卒業後周りの人に「よく一緒にいたよね」と言われ、その時初めて、友人は自己中な性格だったんだと納得したことがある。
携帯がない時代、待ち合わせにはほぼ毎日遅刻。酷い時には、「もう先に行っていると思った」と言って、ちゃっかり先着。あまり遊ぶのが好きでなかった私に「一緒に宿題をやろう」と持ちかけ家に来て、結局宿題放置で遊ぼう遊ぼうと迫り内容変更。別の友人2名に対し、興味ありそうな内容で声をかけておきながら、いざ集まると話しと違う内容だった。とか。奢ってくれるまで駄々をこねるというのもあったかな。

私はこの当時のモヤモヤの影響で、下記の行為をする人は、どんなにいい人であれ、好きな人であれ、「ああ……もう無理」となってしまう。それが以下詳細である、

「遅刻」を平気でし、それが常態化する人
・全く悪びれない。こっちが着いたよと連絡を入れてから家を出る等
・車の場合、毎回遅刻の理由が真偽不明の渋滞。早めに出ることをしない。

「不誠実」な人。
・小さな約束を平気で破る。よく忘れる。連絡しない。

「嘘」を付いているという意識が薄い人。
・自分の都合の良いように嘘で状況を変えようとする。

「ドタキャン」「リスケ」を意識的にする人
・はじめから行くつもりのない約束のドタキャン。
・人の計画を台無しにするリスケや内容変更を当日にする。

「立て替えたお金を払わず忘れる」
・後で払うよの末忘れる
・請求しないほうが悪いと思っている

「共感性が欠如している人」
・デリカシーのない発言や正論パンチを放ってくる

「相手が折れるまで引き下がらない人」
・嫌だといっても折れるまでしつこく迫る。要求する。
・譲歩、妥協した分信頼を失っている事に気づかず、自分は交渉が上手いと勘違いしている

本当に悲しいのは、上記に該当する人は、自分が自己中、もしくは不誠実であると気付いていないということだ。
大体、マイペース、お気楽、ポジティブ、お調子者という前向きな言葉で社会に溶け込んでいる。
それはそれで、浅く付き合う分には問題ないし良いことだとは思う。
こちらも相手に期待さえしなければ平穏だし楽しい時間を過ごせる。
むしろこういう人の方が、社会では成功する性格だとは思う。
しかし、期待する関係になってしまった場合、どんなに私の「好き」の条件に当てはまっていようとも、身近な人の大切な友人であろうとも、私の我慢が限界に達した段階で、どうしても交われない性格の人間として、最大限の距離を置かざるを得ないのだ。
言って改善をしてくれる可能性は、限りなく低い。
なぜなら実際に「嫌だ」「怒っている」ことを言葉にして伝えたことはあるのだが、だって、でもの言い訳から始まり、結果忘れる、知らない、聞いていないというオチだ。
もう本当に精神がすり減る。色々苦しい。
申し訳ないが、自分自身のメンタルヘルスの為、身を引かざるを得ない。

ポイントは「常態化」。
もちろん普段誠実な人がうっかり遅刻をしたり約束を忘れたりしても真摯に謝ってくるのならば、別に友好関係にヒビが入ったりはしない。
私だって、同じようなミスをするのだから。
ただこの遅刻や約束反故を頻繁に行い、常態化させ、それを悪いと思わないのが問題なのだ。
もし自覚がある人がいたら、ぜひ意識して改善して欲しいと願う。

私と突然連絡が取れなくなった場合、きっと上記のどれかに当てはまっている可能性が高いだろう。
自己中な人はよく「突然消えた」と思っている。
しかし何度も警告し、ちゃんと口に出して不満を伝えているのだが、本気で気付かないのだ。
いつか気付いて、未来の大切な誰かの為に改善してくれることを願っている。

とはいえ、楽しかったことも沢山ある。
だからこっそりお礼は言いたい。ありがとう。


感動する好き。
おまけ的な話になるが、私はドイツ語が全然分からないくせに、オペラが好きであったりする。
しかし動物のくだりでも出た話と共通して、ただのオペラではあまり魅力を感じられなかったりする。
私が好きなのは「総合芸術」。
美しい生演奏、感情が入った歌唱、細かな演技、繊細で大迫力の舞台装置、陰影を生み出す照明、異国の世界観を演出する舞台衣装……。
これらが全て揃ったオペラを目の当たりにした時、凄まじい感動と眩しい憧れ、そして巨大な無力感が同時に襲いかかってくる。
完璧なまでの「美」を見た後は、しばらく鬱に似た症状に陥ってしまう。
この感覚は、本当に、どうしようもなく、言葉にならない。

特に 「魔笛」ー夜の女王のアリアー は、
いつ見ても感動し、鳥肌が立ち、膝から崩れ落ちるような感覚に支配される。

もしかしたら、私の前世はヨーロッパ人なのかもしれない。

終着。
最初は好きの感情がよく分からないなんて思って書き始めていたけど、書き始めてみるとたくさん好きなことがあるじゃないかと改めて確認することができた。
しかしながら、大人になると前ほど夢中になれる好きを見つけることが難しいということも実感している。
実際今回書き出した内容は、殆どが「過去」が基準になっているなと気付く。
「現在」基準で語った内容は一部だけで、「今の自分の好きなもの」を、あまり書き出せていない結果になってしまった。
「今これが好き」ではなく「これが好きだった」が多い。
今回の自己分析を踏まえ、「今」好きなものや好きなことを、少しずつ増やしていきたいと思う。

余談だが、かつてしていたオタ活も、グッズコンプは時代的にももう無理で、自営業ゆえ資金はなるべく仕事に回したい為、収集欲をなんとかして葬り去った経緯もある。
行きたい場所もやってみたい仕事もちらちら目に入るが、時間もお金も勇気も体力も全てにおいて不足している。
大人なのだから、本当は「自分が好きでやっていることが誰かの為になる」といった状況を作り出していきたいと常々思ってはいるのだが、いかんせん私は、全て「好き自己完結型」なので、誰の役にも立たなければ誰の為にもならない好きばかり。
むしろ「誰かの為になれば」と思って始めてしまうと、義務と責任が先行して脳を支配してしまい、楽しい、好きという感情がなくなってしまうのだ。
なくなるだけではなく、もはや苦痛レベル……。

好きを守り抜くべきか、大人として好きを進化させ立ち向かうべきか。
この葛藤があるせいで、今の私はあらゆることに対して「情熱」を失ってしまっている。
純粋に「これが好きだ!」「あれがしたい!」と思うことが難しいし、深く掘れないし、叫べない。
好きを口に出し行動し初めたらもう後には引き返せなくなりそうで……。
「期待」をされたら、プレッシャーに押しつぶされてしまいそうで……。
自営業ゆえ自由ではあるが、自営業ゆえブレーキをかけてしまう。
好きが壊れる恐怖と、好きが生み出す希望が、何度も何度も脳内を巡る。
時間もお金も無限ではない。

これ以上、好きを追い求めるのはわがままな気もするし、贅沢な気もしている。
もう、十分満足ではないか?
そんな言い訳をしながら、今は好きを守り抜くことを選択しようと思う。




同志探し。
ここからは番外編。今回名前を挙げた作品の愛をひたすら語っていこうと思う。
ちなみに作品愛を文字起こしするのは初めてだったりする。
ネタバレ大いにありで、思い出を書いていきたい。
しかしながら、語りだすと止まらないので、箇条書き程度に頑張って収める。
共感してくれる人がいたら嬉しい。
そんな気持ちで、興味がある人だけ閲覧してほしい。

ギャラクシーエンジェル(アニメ)
GALAXY ANGEL(ゲーム)

アニメ版
かなん先生大好き。
藤田まり子さん推し。好きになるアニメ、藤田まり子さんが担当の事が多い。
本当に面白かった。普通に笑った。ギャグ要素モリモリで何度見ても笑える。
る〜んの方は……藤田さんいない泣。やっぱりギャグはムーンメンバーが一番好きだ。
私の中でギャラクシーエンジェルは最高のギャグアニメだ。
ミントの耳が動く音が好き。

ゲーム版
最高傑作。本命。
かなん先生大好き。
水野良先生最高。
ストーリーがしっかり有りつつの恋愛要素追加で、アニメ版とは違う意味の面白さ。
私の記憶に間違いがなければ、日本初の3Dリアルタイムシュミレーションゲームだった筈。
戦闘が本当に綺麗だし戦略性もあって最高に面白かった。
ムービーもイラストも好みすぎて、何周もプレイした。
ルート選択本気で悩んだ。
メカデザインはムーンエンジェル隊の紋章機が好きすぎる。かっこいい。
正直私は、黒き月のノア、ヴァル・ファスクの理念の方が好き。安定が好きなので。
世界観からキャラクターまで全てにおいて大好き。
特にノアとシヴァがお気に入り。

「GALAXY ANGELⅡ 絶対領域の扉」は、ゲームシリーズの中で正直めちゃくちゃ面白かった。 
夢中でプレイし爆笑してた。アニメ版のドタバタギャグ要素がプラスされた感。
爆笑からのナノナノルート号泣。絶対領域の扉は色々最高。
「無限回廊の鍵」では、ヴァル・ファスクのテクノロジーの踏襲に心から感謝。鳥肌立った。
リコのバランスディテクション、H.A.L.O.システムとVチップのコネクト、ノアとカー中佐のあの連携はシリーズ随一かっこよかった。

しかしながら、無限・永劫の2作品から突然作風が変わってしまい……。
(恐らくTVアニメ絡みか?)
私にとって作風変更はかなりのモチベ減に……orz
そしてラスボスが……orz

とはいえ、大好きな作品には変わりない。
自分のオタクの始まりは確実にギャラクシーエンジェルだろう。
全てのスタッフさんに感謝。


最遊記
峰倉かずや先生、最遊記を産んでくれてありがとう。
繊細なイラストが好み。キャラかっこよすぎ。
悟空が好き。保志さんハマリ役。
原作、アニメ版、どちらも好き。
原作、アニメ共に絶妙なギャグセンスで最高。
最遊記外伝は反則すぎる。大号泣。
最遊記最終章突入。
いつまでも、待っています。

ARIA
テレビ番組の一覧が載っている雑誌を見たときに、サブタイトルがいつも綺麗で、自分好みだったのでずっと気になっていた作品。
我慢できずに、既に数話放送されたところだったが録画予約をして見てみると、想像以上に内容が綺麗すぎて泣いた……。
灯里ちゃんと感性が近すぎて、共感しかなくて、普通に作品のファンになった。
こういう作品にずっと出会いたかった。
アテナ先輩のカンツォーネ、そしてあの回は忘れられない。
絶対沼るからコミック購入を我慢していたのだが、そんな我慢は無駄だった。全部買った。
イラストも美術も水の表現も綺麗すぎる……。
私も、ネオ・ヴェネツィアに行きたい。
そしてイタリアのヴェネツィアに行きたくなった。
ARIAのおかげで、心が洗われた。ありがとう。


天元突破グレンラガン
休日昼近くまで寝ていると、隣の弟の部屋から毎週毎週暑苦しいアニメキャラクターの声が聞こえていた。
音だけ聞いていると、内容メチャクチャ、いや、無茶苦茶だw
あまりにも気になり、頑張って起きて弟といっしょにそのアニメを見たら面白すぎてハマってしまった。
元々メカ系アニメは好きだったが、小難しい設定一切なしで全部気合でなんとかしてしまう展開がバカバカしくて清々しくて最高だった。
正直、リアルの根性論は嫌いだし、スポ根アニメも好まない性格なのだが、根性アニメとしてはグレンラガンとカレイドスターのみ例外となっている。
結局やっぱり休みの日は昼まで寝たいから録画予約で見るようになり、カミナの急展開から一気に目が離せなくなる。
ニアが可愛すぎて目が離せなくなる。
ヨーコのヤキモチが可愛すぎて目が離せなくなる。
結果グレンラガンは、どの回も最高に面白かった。
泣いて、笑って、熱くなって、結果全部がかっこよかった!
劇場版も最高だった。
ロージェノムとのリアルファイトも最高だったし、神ポジのアンチスパイラルともまさかのリアルファイトでメチャクチャ胸熱でやばかった!!
漢のかっこよさが詰まった作品。
最高の興奮をありがとう!!!



翠星のガルガンティア
当時2話以降、ガルガンティアとヴァルブレイブの放送時間が重なっていた。
よって1話の内容からどちらを優先して録画予約するかを決めなければならず、悩んだ末、世界観が好みのガルガンティアを選んだ。
結果、自分にとって大当たりのアニメだった。
社会人なりたての自分。レドとめちゃくちゃ境遇が重なるw
心底チェインバー欲しい。
AI系ストーリーかなり好き。
やっぱり艦長は髭の渋いお爺さんに限る。
そして最終回の号泣は避けられない。
もう本当に、チェインバー最高だ……。
登場キャラクターたちが全員人間味があって、どこか羨ましさも感じた。
リアリティとファンタジーがいい具合に調合された名作だと思う。
何もかも最高で終始自分好みのアニメだった。
そして更にその後を書いた小説「翠星のガルガンティア ~遥か、邂逅の天地~」が本当に本当に面白かった。
めちゃくちゃ読みやすい。
伏線もしっかり回収し、新事実や新展開もてんこ盛りで、バトルシーンもバッチリ想像できてしまうくらい文章がテンポよく丁寧に書かれている作品。
空の境界以来、ハマった小説だ。
ガルガンティアの世界観を隅々まで見てみたい人は、ぜひ外伝で前日譚である「少年と巨人」と「遥か、邂逅の天地 上下」を読んでみてほしい。



楽園追放
東京の生活にも慣れてきた頃、弟がこっちに遊びに来た時があった。
当時映画にハマっていた弟と、その時放映していた映画を調べていたところ、この楽園追放に辿り着いた。
原作なしオリジナル劇場公開作品という点でも高評価。
早速弟と観に行った。
結果私がどハマリ。
少ない登場人物で繰り広げられる奥深いストーリー。
声優陣も豪華すぎて得しかないし、アンジェラもかわいいしディンゴも渋いし、AIも出てくるし自分の好きな要素しか詰まってない。
映像も綺麗だし戦闘シーンもかっこいいし最高だった。
ただ当初、私は「フルCG」というものに苦手意識を持っていた。
どうしてもあのヌルヌル動くのにあるときにピタッと止まるアニメーションに対して違和感がすごくて、TV放映されているフルCG系は全く見れなかった。
しかし楽園追放は違った。全然違和感ないどころか、ちゃんと馴染み深い2Dアニメーションの動きだった。
2Dアニメーションを見ている感覚に近いまま、3Dの迫力ある映像が目の前に繰り広げられて、めちゃくちゃ感動した。
後日Blu-rayを購入したところ、付属の小冊子にその秘密が書かれていた。
流石に専門用語も多いので解説はここでは難しいので割愛するが、「フルCGの技術でセルルックのキャラクターを魅力的に描き出す」凄いことをやってのけたらしい。
なるほど納得。どうりで。
個人的な好みかもしれないが、蛍光色が本当に綺麗だった。
小説も出ているのは知っていたが、評価が低くなんとなく手を出せずにいた。
せっかく綺麗に劇場で終わっているから、このまま劇場のストーリーで満足しておこう。
と思っていたら、現在続編が制作中らしい!?
……絶対見に行く。



空の境界
書籍化され地元の書店で平積みされていた、空の境界上下巻。
当時日常が全然面白くなくて、面白い本にも出会えなくて、地元で一番大きいその書店をずーっとウロウロしていた時出会ったのがこの作品だった。
まず表紙の絵が信じられないほど綺麗で、しばらく見つめた後少し立ち読み。
初めて触れる小説の2段組レイアウト長編伝記小説。
学生だった自分には少々難し目な漢字や内容に少し苦戦したが、それが逆に興味をそそった。
購入し読破。バラバラの時系列、難しい漢字や単語の意味を一つ一つ調べながら読んだのでかなり読解に時間がかかったが、毎日毎日夢中で読んでいた。
現実逃避もあった、厨二病的な時期でもあった。
ここから魔術にも興味を持ち始めた。
結果どっぷりハマった。
映画化。上京する前だった為、劇場へ直接見に行くことは出来なかったが、完全生産限定版DVDを買い揃える。
装丁も内容も豪華すぎ。
何もかも綺麗で、凄くて、怖い。
両儀式は今でも憧れの人だ。
唯一、俯瞰風景の3D映画は見ることが出来たのが何より嬉しかった。
ちなみにTYPE-MOONは今では知らない人がいない会社であるが、その作品の中で自分は空の境界と月姫にはハートを射抜かれたが、不思議なことにFateにはあまりハマれなかった。
なぜだ……。
奈須きのこ氏の伝記小説「DDD」は言わずもがな内容が難しい+野球に関して全く知識がない為、なかなかに読むのに苦戦した。が、やはり世界観が興味深い。しかしもう続編は出ないか……?
奈須きのこ氏を初めTYPE-MOONの作品に、割と早い段階から出会えたことに、一種の優越感を少し感じなくもない。
素晴らしい作品を世に生み出してくれて感謝。
サークルから会社になった経緯も含め、心から尊敬する。



十二国記
大人にこそ見てほしいアニメであるし、読んでほしい小説である。
私は小説がまだ未読なので、アニメの話が中心になるのを許してほしい。
何回も何回もNHK再放送で見た。が、幼すぎて内容を全く理解していなかった。
大人になって、なんでNHKで何度も再放送されていたのかようやく分かった。
この作品には、ものすごいリアルな教訓の数々が散りばめられていた。
今から思えば、元祖異世界転生ものだよな。なんて思うけど、よくある最強の力なんてものはないし、頼りの景麒は側にいないしで、裏切り、裏切られ、人間が成長するのに必要な困難や苦難を全部身に受けてようやく王になっている。
こんなにリアルな転生モノ、なかなかないぞ。
細かく書くと大変なことになるのでかなり端折って書くが、陽子の無意識の媚売、鈴の被害者感情、祥瓊の無責任(責任転嫁)の言動、行動は、大人になった私に酷く刺さった。そして胸が痛くなった。だって、気持ちが分かるから。
しかししっかりと成長のヒントや乗り越える方法まで描かれている為、かなり自戒になった。
幸いなことに、私の身近には楽俊的な人と、延王的な人が存在していて、かなり助かっている。
個人的に白汕子のキャラデザインがかなり好き。
そしてあまり登場しなかったが、珠晶がかなり好き。
楽俊はいわずもがな、そのセリフにはかなりの価値がある。
印象深いシーンは、祥瓊が私刑で引き裂き刑を受けるシーン。あのじわじわと身体が引かれ死が迫る恐怖と声優である桑島法子さんの真に迫る絶叫が忘れられない。
(ガンダムSEEDのバジルール中佐、フレイの演技も凄いです。法子さん)
そして勝手に口を開いた祥瓊を、珠晶が指先だけで叩頭させるシーン。
祥瓊の屈辱と珠晶の権威、威厳が物凄い感じ取れたシーンだった。
後は、泰麒が驍宗の下へ転変して駆けていき、自分の行動の過ちを認識(思い込んで)しながら叩頭し、震えているシーン。
などなど、上げればきりがないが、陽子の初勅のシーンが絶対一番気持ちいい。



箇条書きで書くと言いながら、結局長々と書いてしまった。
共感してくれる人がいたら嬉しい。
ただそれだけのおまけの番外編。
初めて感想を吐き出せて良かった。
流石にここまで読んでいる人はいないと思うが、もしここまで読んでくれている人がいたら、感謝を伝えたい。
私のオタクトークに付き合ってくれて、心からありがとうございます。
いつかどこかで、繋がりましょう。

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writing 2025/12/03

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